てのはし生活相談員の幸田良佑です。てのはしに1月に入職して7月で半年を迎えました。どうやら職員の義務として会報誌に文章を寄せなければならないようなので、本号では自己紹介をさせていただきたいと思います。

私はどうやら大変に老け顔のようで、人に私の年齢を訊ねてみると30歳、40歳と言われることがあります。生活相談ではこんなことがありました。相談に来られた方に過去の経緯について聞き取りをしている場面です。「ちょうどお兄さんぐらいの時に東京に出てきて市場でリフトの仕事に就いたんだ」とおっしゃいます。具体的な年齢を伺う必要があったので「何歳の頃だか覚えてらっしゃいますか?」と質問しました。彼は「38歳ぐらいかな」と答えました。その頃私は18歳だったので実際とは20年の差があります。実際の年齢を伝えたら倒れこんでしまいそうなので未だにお伝えしていませんが、こうしたやりとりに傷つきながら日々働いています(笑)

私は一昨年の3月に高校を卒業して、二部の大学に通いながら働くことになりました。最初にニュース番組の制作会社に見習いとして就職しました。しかし、直属の上司がパワハラ気質で、「ここには長くいられないな」と感じ1か月と少しで退職してしまいました。次の食い扶持を見つけるためにとりあえず大学の学生部に行って、掲示板に貼ってあった図書館の蔵書整理のアルバイトに応募。翌月から働き始めました。親からは早く扶養から外れろ、と言われていて、社会保険に加入できる仕事に就きたかったのですが、自分の関心と重なる仕事がなかなか見つからず、結局蔵書整理の仕事を半年ほど続けました。図書館というのは年に一回「蔵書点検」と呼ばれる資料の有無や配架の位置について確認する作業があります。リストと照らし合わせていく中で、何冊か貸し出し状態にはなっていないのに書架にない本を見つけました。そのうちの一冊が『漂流老人ホームレス社会』でした。タイトルでお分かりになる方もおられると思いますが、てのはしを立ち上げたうちのお一人である森川すいめいさんのご著書です。私は高校時代に一度てのはしの夜回りに参加したことがあり、てのはしという名前も森川すいめいさんのお名前も知っていました。どんな内容なのだろうか、と他キャンパスの所蔵から取り寄せて読んでみました。DV、認知症、派遣切りなど、様々な困難を抱えつつ路上生活を送られている方々の現実について知りました。私はその頃、毎月家賃を含めて10万少しの収入でやりくりをしていて、「きついなあ」と感じていましたが、いざとなれば帰ることのできる実家はあるし、みっともないけれどお金も無心もできる。住まいも、戻ることのできる場所もない、という彼らがおかれている現実は私とは比べ物にならない、立っている位置がまったく違うのだな、と感じました。私はもっと現実を見てみたいという思いをもって知人の伝手を頼っててのはしの炊き出し、夜回りに参加するようになりました。

清野さんによるボランティアセミナーを受講したのが、たしか昨年の8月頃。数回、大学や仕事で疲れて寝てしまいお休みしたことがありましたが、炊き出し、夜回りにはコンスタントに参加していました。現場から学びたい、支援活動に関わってみたいと鼻息荒く参加をし始めたわけですが、気づけばそんな思いも忘れて、毎週水曜日の夜回りと第2第4土曜日の炊き出しが待ち遠しく思うようになっていました。利用者の方に名前を覚えてもらって、ちょっと遅れたら「あれ、幸田君遅刻?」と声をかけてもらったり、ガムや飴などをもらったりして夜回りを居場所のように思うようになりました。

そうして活動にも慣れ始めた12月頃に、いつも夜回りで一緒になる生活相談員の高橋さんに「いつも相談員としてどんなお仕事をされているのですか?」と伺いました。生活保護申請の同行の様子やシェルターについて丁寧に説明してくださったのを覚えています。そこで私は「生活保護の申請同行、やってみたいですね」と体験学習するつもりでお伝えしたのですが、いつの間にやら、清野さんの耳に入る頃には「幸田が生活相談員として働きたいと言っている」と変換されていたようで、翌週の夜回りで、世界の医療団の武石さんから「幸田くんは週に何日入れるの?」「時間、曜日は?」といきなり具体的な聞き取りをされました。内心「なんだ?この話は。聞いてないぞ」と戸惑っていましたが、仕事にできるのも面白いかもしれない、と思い、乗ってみることにしました。

そんなこんなで、てのはしに入職して半年経ったわけですが、日々勉強の毎日です。福祉の制度や仕組みの勉強はもちろん、相談者に対してどのような関わりが望ましいのだろうか、ということを悩みながら働いています。相談者本人の希望や思いをしっかりと聞いて、望まれる生活設計のお手伝いができたらと思っています。

ほかの相談員のみなさんのように福祉事務所や国の制度設計に対して、問題を指摘したり提案したりしてみたいのですが、不勉強なもので何が問題で、何を改善しなければならないのかということがまだはっきりと見えていません。「ソーシャルアクション」を実践できる支援者になりたいと思っています。どうか温かい目で見守っていただけますと幸いです。

この記事を書いた人

幸田 良佑

幸田 良佑

2003年生、愛知県出身。TENOHASI(てのはし)の生活相談員。なんちゃって大学生。